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最高裁判所第二小法廷 平成3年(オ)770号 判決 1992年12月18日

上告人

有ヶ谷岩男

右訴訟代理人弁護士

興津哲雄

被上告人

日産火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

川手生巳也

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人興津哲雄の上告理由について

原審の適法に確定した事実関係によれば、(1) 上告人は、昭和五九年一一月五日夜、かねてから情交関係のあった女性の勤めるパブに飲みに行き、帰宅する同女を上告人所有の軽四輪貨物自動車(本件車両)に同乗させ、同女の自宅近くの駐車場に至り、本件車両を駐車させて二人とも寝込んでいたところ、翌六日午前四時ころ、同女の夫に発見され、その場から逃れようとしたが、進路前方に同人が両手を本件車両のフロントガラスに当て、身体を車体前部に接触させるなどして立ちふさがったため、上告人は、そのまま本件車両を発進すれば車体を同人に衝突させて傷害を負わせる可能性が高いことを認識しながら、それもやむを得ないと考え、その場を逃れたい気持ちからあえて本件車両を発進させ、七、八メートル前進した地点で同人を路上に転倒させて、同人に加療約一年八か月を要する硬膜外血腫、脳挫傷等の傷害を負わせた、(2) 上告人と被上告人は、昭和五九年一〇月六日、被保険車両を本件車両、被保険者を上告人、対人賠償額の限度を七〇〇〇万円、保険期間を右同日から昭和六〇年一〇月六日までとし、上告人が本件車両の所有、使用又は管理に起因して他人の生命又は身体を害することにより法律上の損害賠償責任を負担することによって被る損害を填補することを内容とする自家用自動車保険契約(本件保険契約)を締結したところ、本件保険契約に適用される自家用自動車保険普通保険約款第一章七条には、被上告人は、保険契約者・被保険者の故意によって生じた損害については填補しない旨の定め(本件免責条項)がある、というのである。

上告人の本件請求は、上告人が本件事故の被害者に対して二三八一万円余の損害賠償債務を負ったとして、本件保険契約に基づき、被上告人に対して右金員相当の保険金の支払を求めるものであるところ、右事実関係の下においては、本件事故によって上告人が被った右損害は、本件免責条項に定める保険契約者、被保険者の故意によって生じた損害に当たるというべきであるから、被上告人は免責され、上告人の本件請求は棄却を免れない。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平 裁判官大西勝也)

上告代理人興津哲雄の上告理由

一、原判決は、本件事故が上告人の傷害の未必の故意により発生したことを前提としたうえ、上告人が被上告人との間で締結していた自家用自動車保険契約に適用される普通保険約款第一章第七条(いわゆる「免責条項」)の「故意」には、未必の故意が含まれ、本件事故につき被上告人は免責されると判断した第一審判決を支持し、上告人の控訴を棄却した。

その理由とするところは以下のとおりである。

(1) 未必の故意による行為は、違法な結果の発生を認容してする行為であり、単なる過失はもちろんのこと、認識ある過失と比較しても、その違法性評価に決定的な差がある。

(2) 「故意」行為による事故についても保険給付が受けうるとするのは信義則に反し、右行為の違法性に照らして社会通念上相当でなく、事故発生の偶然性を前提とする任意加入の自動車保険制度と相容れないものであり、この点において未必の故意と確定的故意の間に異なるところはなく、このような場合には保険者において保険給付を拒絶すべき合理的かつ正当な事由があると考えられ、かかる本件免責条項の実質的根拠ないし趣旨からすれば「故意」には未必の故意が含まれると解すべきである。

(3) 本件免責条項にいう「故意」の客観的意味内容は不法行為法理によって定まると解すべきところ、不法行為法理においては未必の故意は故意に含まれると解釈されている。

(4) 普通保険約款の性格に鑑み、契約当事者間においては、「故意」に未必の故意が含まれるとの合意が成立していると認めるべきである。

(5) 未必の故意と認識ある過失とは、当該行為に至る経過、被害者の対応の状況、行為の態様等客観的側面を検討することにより、必ずしもその区別が困難とはいいがたいうえ、両者は、結果発生の認容の点において質的に全く異なるものであり、仮に判定が困難であるとしても、これを理由に免責条項の適用において両者を同一に扱うべき筋合いのものではない。

(6) 今日における任意加入の自動車保険が自賠責保険と相まって被害者救済の社会的機能を果たし、その契約内容が自賠責保険に近づいていることは事実であるにしても、これにより右判断を左右するに足らない。

(7) 免責の範囲を確定的故意の場合のみに限定することは、現行の保険約款の解釈としては無理があり、保険契約者の意思の合理的解釈としても、本件免責条項の適用において、確定的故意の場合に限定すべきであるとまでいうことはできない。

二、原判決の論旨は、まず第一に、未必の故意と認識ある過失が民事法上も峻別可能で、そこに絶対的な差異を肯定しようとする点に誤りがあるといわなければならない。

未必の故意と認識ある過失は、結果発生の認容の有無において、刑事上では絶対的な差を生ずる。しかし、もともと、この両者は、行為者において認識した事情もその行為及び結果も同一であって、そのいずれであるか判定に苦しむケースが実際上多い(区別が困難とはいいがたいとする原判決の説示は単なる抽象論にとどまるもので現実的ではない)。そうであるとすれば、民事上において、一方は保険給付が得られ、他方は得られないという絶対的な効果の相違を根拠づけるほどに、決定的な違法性評価の差があると断ずることに、まず大きな疑問が提起されなければならない。

原判決は、不法行為法理において、未必の故意が故意に含まれると解釈されていることを一つの理由として挙げるが、不法行為における「故意」概念は、過失の場合と効果においてほとんど差がないことから、従来、あまり厳密に論議されてきたとはいえない。ましてや、「故意」であれば、保険給付が得られず、結果的に被害者が救済されないことを想定して、「故意」概念が論じられてきたとは到底考えられない。刑法上の「故意」概念はもとより、加害者の被害者に対する損害賠償責任を根拠づけるための要件としての「故意」概念を、責任保険による保険金支払の当否を問題とする局面でそのまま転用することには大きな疑問がある。むしろ、それぞれの制度趣旨に応じて「故意」の内容を考えるべきである。

免責の範囲を確定的故意の場合のみに限定することは、現行保険約款の解釈として無理であるとする原判決の判示は、この点に思いを到さず、刑法上の「故意」概念にひきずられたもので不当である。

原判決が、保険約款の免責条項の実質的根拠ないし趣旨を論ずる部分は、一般論としては、正当であるとしても、そのことから免責条項にいう「故意」に未必の故意が含まれるとする帰結は論理の飛躍である。

保険給付を受けることが信義則に反し、行為の違法性に照らして社会通念上相当でなく、事故発生の偶然性を前提とする保険制度と相容れないような事故態様に、未必の故意による事故が含まれるとは当然にはいえない。

保険給付を拒絶すべき合理的かつ正当な事由があるといえる行為態様は、事故を招致して、事故発生の偶然性を前提とする保険制度の基本的システムを破壊するような行為、すなわち確定的故意による事故であって、このような場合においてすら保険給付がなされるとすれば、たしかに信義則に反し、社会通念上不相当であろう。

未必の故意は、結果の発生を認容しこそすれ(先に述べたとおり、その判断は、実際上甚だ困難である)、それを意欲しないという点で確定的故意と決定的に異る。未必の故意による行為は、主観的にも結果発生が不確定な状況でなされるものであり、偶然性の契機を失っていない。

未必の故意による事故について保険給付することは、保険制度のシステムと基本的に矛盾するものではない。

三、原判決は、近時、任意加入の自動車保険が被害者救済の社会的機能を果していることを理解せず、過小評価する点に誤りがある。

今日、任意保険に加入しないで、被害者に対する補償を全うできる車両保有者は殆どいないというのが実状である。補償義務が完全に履行されないことによって現実に苦しむのは、言うまでもなく加害者よりも被害者である。車両保有者が責任保険に加入する理由は、単に損害賠償義務を負担することによる自己の社会的・経済的地位の劣悪化に対処するだけでなく、資力の点で被害者に対する自らの責任を全うできるように備えておくことにある。そのゆえにこそ、保険業界は、車両保有者に対して、任意保険加入を強力に勧誘してきた。今や、任意加入の自動車保険は、「加害者のための保険」であると同時に「潜在的被害者のための保険」であるとも観念されうるのであり、任意保険加入は、車両保有者にとっての社会的義務というも過言ではない。保険約款において被害者の直接請求が認められ、また、逐次、被害者保護の観点にたって約款の改定がなされてきたとの歴史的経過は、保険業界においても、このような任意保険の性格の変容を事実上承認していることを意味するものである。

従って、免責事項の解釈にあたっては、任意保険制度が被害者救済という社会的機能を果たしていることを重要な視点に据えなければならないのであって、このような立場にたつならば、原判決のように、契約当事者間において、免責条項にいう「故意」に未必の故意が含まれるとの合意が成立しているなどとは、到底いえない。

前途のとおり、未必の故意が、認識ある過失と実際上ほとんど差がなく、事故発生の偶然性の契機と矛盾するものでもない以上、逆に、保険契約者は、「故意」には未必の故意を含まないとの約款解釈を期待し、保険者も、このような顧客の期待を受け入れたうえで、保険契約を締結していると認むべきである。

四、以上のとおり、普通保険約款第一章第七条にいう「故意」には未必の故意を含まず、未必の故意による事故については、保険者は免責されないと解すべきである。

これと異る原判決の判断は、約款解釈を誤ったもので、原判決は、この判断のうえに立って上告人の控訴を棄却したものであるから、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背があることに該当し、原判決は破棄されるべきである。

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